――――雨は。嫌いだ

なんでもない一日が、この空から落ちてくる雫のせいで途端に憂鬱なものに代わっていく。

理由なんて――――きっと、ない。

ただ、ただ私は――――――――










雨が、嫌いなんだ













ある雨の日の事









「ぁー……ったく、なんでこういう暇なときに限ってお前らは俺を捕まえるんだよ、おい」

 街中にあるとある喫茶店。
 その一角を専有している腐れ縁たちの顔を眺めながら、アルは心の底からうんざりしているような声で言葉を搾り出す。
 今日は此処最近知り合いの腹黒神父からの依頼が漸く終わり、久々の休日を過せる――――はずだったのだ。
 だがフタを開けてみればフラバに強引に街に連れ出され、腐れ縁の男二人と合流してこうして喫茶店で意味もなく時間を潰している。
 骨休めといえば骨休めなのかもしれないが……余計に疲れる気しかしない、アルであった。

「しかたないだろー? 俺もカータもヒマだったんだよー。お前もヒマだってフラバが言うし、だったらこうして集まってお茶でもしようかと思って」
「そういうこの馬鹿の思いつきで僕もつれだされてね、此処にこうしているんだ。今日は図書館にでも行こうと思っていたのに……後でパシらせて借りる予定だった本持ってこさせるかな」
「ごめんカータ、真面目に誤るからあの一冊だけでも馬鹿重い本を十冊も持たせるのだけは止めてくださいっていうかマジでーーっ」
「「お前、五月蝿い」」

 アルの拳とカータの言葉のツッコミを受け、イジィは机に撃沈。
 その様子を微苦笑を持って見守っていたフラバは、ふと何気なく外を見て――――

「あれ、あの人……フィリ、さん?」

 そう呟かれた言葉に、男三人――一人は面倒そうに、一人は何気なさそうに、一人はものすっごい勢いで、フラバの視線の先、窓の外に広がる町並みに視線を向けた。
 そこにいたのは、金の髪を持つ少女。
 しとしとと降り注ぐ雨の中、傘もささずにふらふらと街を歩いている、フィリフォルミス――――フィリと呼ばれている少女が、いた。

「なに、あのすっごく可愛い子フラバの知り合い!? ちょ、紹介してしょうか――――へぶっ!?」
「馬鹿は置いておいて、誰?」
「お前今ものすごい音が……まぁ、いいか」

 顔の真正面から百科事典並みに分厚い本の洗礼を受けて床に転げ落ちた友人を無視し、その事態を引き起こした犯人は淡々と問いかける。
 何気にかなりの威力を持っていたのは、気のせいだろうか? ツッコミにしてはやけに激しかったが。

「えっと、この前ちょっと――――」

 横でフラバがなにやら説明をし始めたのを横目で見ながら、アルはふらふらと危なっかしい足取りで歩いていくフィリの後姿を目で追っていく。
 なんだろうか。
 何か、あの後姿は――――

「おい、フラバ、俺の分の勘定よろしく。後で金返すから」
「というわけ――――って、アル!?」

 自分でもよくわからない衝動に突き動かされ、アルは喫茶店を後にする。
 此処につれてこられるときに差していた、男物のやや大きめの傘を握り締めながら。













「――――おいっ!」
「………………ぁ?」

 バシャバシャと水を跳ね上げながら駆け寄り、雨水でびしょびしょになっている服の上から肩を掴み、やや強引に振り向かせる。
 するとソコには――――以前の事件の時とは比べようも無いほどに表情の、活気の無い少女の顔があった。

「なんだ……お前、か。どうしたんだ、一体」

 どこか茫洋とする表情でそう問いかけてくるフィリに、アルは自分の中かで蠢く何かに突き動かされるように、口を開く。
 その口から出るのは――――苛立ちをたぶんに含んだ声だったが。

「どうしたもこうしたも、それは俺のセリフだ! お前、こんな日に傘も差さずに何ふらふらと歩いてるんだよ! 風邪引くっていうかそれ以前に危なっかしくてしょうがないだろうがっ!」
「――――ああ、心配してくれていたの、か?」
「――――――っ!?」

 とっさに言葉に詰まる。
 いまだに茫洋とした表情をしているフィリのその言葉に、不覚にも顔が真っ赤に染まっていく。
 最初に会ったときはやたらと尊大で。
 そのときの事件の時もしたでに出ることなくいつだって強気だった、少女。
 その少女が紡いだその言葉に、分けもわからず恥ずかしさが湧き上ってきていた。

「そ、そんなんじゃ――――無い、と思うけど……って違うっ。俺のことじゃなく、お前の事だよ今は。あーあー、びしょびしょじゃないか……髪もすっごい濡れてるし……タオルなんて持ってないし……」

 どうしようか、と照れ隠しも含みつつ少しイライラしながら悩み、最終的には自分の手にした傘にフィリを連れ込むことで、よしとする。
 何で俺がこんな奴の面倒みなくちゃいけないんだとか、何でこんなの追っかけてきちまったんだとか、何してんだ俺とかぶちぶちぶちぶち言いながらも、アルはフィリを女子寮の方向まで連れて行くために、軽く肩を押して歩き出そうとして――――

「なぁ……お前は、その目を壊したいと、消したいと、亡くしたいと思ったことは……ある、か?」

 ぽつりと紡がれたその言葉に、絶句した。
















「お前は、その目を壊したいと、消したいと、亡くしたいと思ったことは……ある、か?」

 何を聞いているのだろうか。
 冷たい雨により冷やされた頭は変に熱を持ち、どこか私は夢見心地で自分が紡いだ言葉を他人事のように聞いていた。
 今日は、本当に何もする気が起きなかった。
 朝から降り続いているこの雨の中、何となく……言葉にできない何かの衝動に動かされて、私は寮を出て街に向かっていた。
 最初は傘を持っていたが、途中で見つけた捨て猫にその傘を貸し、そこからは特に何も考えず目的もなくふらふらと街を歩いていたんだ。
 何をするわけでもなく。
 何がしたいでもなく。
 ただ言いようも無い衝動に突き動かされて歩いていると……今目の前で絶句している奴に、声をかけられた。
 ベシキュロサ・アルドロバンダ――――通称、アル。
 とある能力を持った“呪いの右目”を受け継いでいる、少年。
 以前女子寮で起こったとある事件を解決するために学園長が寄越した人物――――最初は、ただそれだけだった少年。
 自分の役柄上その事件以降もたまにその名前を聞くことはあり……そのときに何か不思議な気持ちがよぎったのを、ふと思い出す。
 何とはなしに食指が動き、彼の背後関係を調べさせたりもした。
 本当に、なんであんなことをしたのか……今でも我ながらよくわからない。
 けど、なんと言うのだろうか。
 今こうしてたった独りで街を歩いていた中、声を掛けられて……ぽう、と胸の奥が暖かくなった。
 イライラしている顔特徴で私に文句を言ってくるアルに向かってふと心配してくれたのかなどといってみれば、面白いほどに顔を赤くしてうろたえて。
 可愛いとか、なんというか……そんなことを、思って。
 そんなことを思った自分に驚いて、そして自分が自分で無いような気がして。
 気がつけば――――私はアルに向かって、先ほどの言葉を紡いでいた。

「――――――」

 無言。
 さぁさぁと降り注ぐ雨の音が妙に耳に響き、静寂の中でどこかのノイズのように思考を侵食していく。
 驚愕に続くアルの顔は、能面のような無表情。

――ああ、決定的に嫌われた……かな?――

 私は知っている。
 彼が、決してその目の全てを受け入れているわけでは無いということを。
 彼が、その今までの生においてどんな目にあっていたかということを。
 ただ書類の上に記された文章という媒体でだが、知っていたのだ。
 なのに、そんなことを……彼の傷を抉り出して塩を塗りこむような質問を、した。
 あぁ、私は一体――――――――ナニガシタイトイウノダロウ?

「……すまなかった、な。忘れてくれ。あと、声をかけてくれて、心配してくれて嬉しかった。ありがとう。そして――――さような」
「あるに、決まってんだろうが!!」

 二歩、三歩と。
 彼が差している傘から外に出て、寮に帰ろうと歩き出したところで――――こちらの言葉をさえぎって、そんな怒声が街に響く。

「ちっせぇころから色々あったさ! 大きくなっても色々あって、しまいにゃ妹の記憶まで消して……何度この目を抉り出したいと思ったと思う!? 数え切れないほどあるに決まってんだろうが!」
「う、ぁ、そ、の――――すまな」
「うっせぇ! ああ、俺はこの目が嫌いだったさ。大っ嫌いだったさ。でも、でもなぁ――――俺はこの目があったおかげで、色々な幸せにも出会えてるんだよ! 馬鹿みたいな奴が纏わりついてきたり、涼しい顔してはずかしこと喋る陰険な奴が友達でいたり! 頭いろいろ足りてない馬鹿が友達にいたり! それに――――」

 お前みたいな奴にだって、この目が合ったから会えたんだぞ?

「――――っ!?」

 な、何を言い出すんだろうか、こいつは。
 怒りに真っ赤に染まった顔でがぁっ、と一気にまくし立てたその最後の内容を聞いて、私は不覚にも顔を真っ赤に染めてしまっている。
 私に、会えたのが……幸せ?
 な、何を唐突に……どう、したらいいんだ? 私は。

「ああっ、もう……いいから行くぞ! こんなところでんな話してたら、風邪引いちまうっ」
「え、ぁっ、こら――――引っ張るなっ」

 腕を力強くつかまれ、強引に引っ張られていく。
 文句を言いつつ腕を外そうとするが、そこはやはり男と女だからだろうか。
 存外に強いその力に抗えるわけもなく、最後には諦めてズンズンと進んでいくアルに引きずられるようにして、歩いていく。
 まだ顔は――――熱かった。







「私は、な……雨が嫌いなんだ」
「………………はぁ?」

 最初ほどの勢いはなくなり、次第にゆっくりとしたペースで歩き出してから五分程度。
 なにやら通りかかった――来た道を戻る道筋で帰る途中にあった喫茶店の窓にへばりつくようにしてこっちを見ていた男子三人に射殺すような視線を送っているアルを見たりしながら歩いていき、何とはなしに……ぽつりと、私はそんなことを話しだしていた。

「特に理由なんて……ないんだと、思う。ただ昔から何となく雨は嫌いで……今日も、部屋から外を見てたら段々憂鬱になってきてな」
「……それで? 何でそんな奴がびしょぬれで傘も差さずに街を歩いてんだよ」
「憂鬱になってきて……そんな自分がなんだかいやで、この私をそんな気分にさせる雨に何故だか腹が立って気がつけば雨の街に繰り出していたというわけだ」
「………………聞かなくてもわけわからなかったけど聞いても余計わけわからねぇ……」

 心底疲れたとでも言う風にため息をつくアルの横顔を見て、思わず笑みを浮かべてしまう。
 なんだろう、こうして彼のこういう顔を見ると――――心が落ち着く。
 私はやはりSだったのだろうか――って、それは何か違う気がする。

「雨、ねぇ……俺は好きでも嫌いでもねぇけど、でもなぁ……だからってなんでずぶ濡れで街歩くよ」
「最初は傘を差してたんだが……捨て猫を見つけてな。みぃみぃうるさいから傘貸して逃げてきた」
「拾ってやれよそこは……」
「私は動物を変えない人種だと友人に言われているんでな」
「暗にずぼらだと――ってっ、腕抓んなよ」

 何かむかついたので腕をギリギリと抓り……そのまま勢いに任せて腕を組む。
 アルの服も濡れてしまうだろうけど、問題は無い。
 何せ、とうの本人が口をぱくぱくさせて何も文句を言ってこないのだから。
 顔が熱いが……問題は、ない。

「あ、雨は俺も大好きとはいえないが――――嫌いではない、かな」
「……何故だ?」

 ゆっくりと斜め上に……広がる曇天に視線を向けるアルに釣られ、私も上を向く。
 
「なんていうか……洗い流してくれる気がするんだよ。俺の中のどろどろした否なもんとか、どうしようもないものとか……きれいさっぱりってわけにはいかないけど、少しくらいは持っていってくれる気がするから……かな」
「……意外にロマンチストなのだな、お前は」
「――――うるせぇ」

 だが――――そんな考え方は、嫌いじゃない。
 なんだか、アルの言葉を聞いて……少しだけ、本当に少しだけだが、雨に対する印象が変わったかもしれない。
 もしかしたら次の雨の日には忘れているかもしれないけど……本の少しだけ、私は雨が嫌いではなくなったのかも、しれない。
 男物の傘から滴る雨水を眺めながら、私は小さく笑みを浮かべる。

「なぁ、アル……ちょっとこっちを向け」
「あぁ? 一体なんだ――――ん!?」

 軽くつま先を伸ばし、濡れた手でアルの上着の襟元を掴んで。
 こちらを向いた少年の唇に、軽く自分のそれを重ね合わせる。

「――――なっ、なななんあなななっ、なぁ――――っ!?」
「これは礼だ。傘に入れてくれたことと、私を心配してくれたこと。そして――――」

 雨を少し好きにならせてくれたことへの、礼だ。
 自分の顔が赤いのは自覚している。
 だがそれ以上に真っ赤に染まったアルの顔をみて妙に満足を得て――丁度仔猫に貸した傘を見つけた私は、彼の傍から抜け出て傘を拾い上げにいく。

「ではな、アル。また何時か――女子寮で事件が起こったら会おう。運が悪ければそれ意外に街でも、な」

 さようなら、また会う日まで。
 真っ赤になって唖然茫然としている少年を残し、私は来た時とはまるで違う足取りで家路を目指す。














――――雨は。嫌いだ

なんでもない一日が、この空から落ちてくる雫のせいで途端に憂鬱なものに代わっていく。

理由なんて――――きっと、ない。

でも、今日は、今日だけは……雨も悪くないと、そう思うんだ。

空から降ってきたこの雫のおかげで、私はまた一つ何かに気がつけた気がする。

憂鬱だった気持ちが晴れてしまうような、そんな何かに。

唇に仄かに残る暖かさに人差し指を当ててみながら、傘の先から覗く雲を見上げ――――その中に、陽光を見る。

嫌いになった理由が無いように、この心変わりにもきっと理由は、ない。

無いと思うが、でも――――













今日からは少し、私は雨を好きになれるかもしれない

この唇に残る、感触のおかげで









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